春うららのつくりかた

いつの間にかこのホームページもアクセス数が1 000人を超えました。そこで、 特別企画 「春うららのつくりかた」 をお送りします。これは、春うららのパソコン人生を振り返ろうという企画です。 では始まり〜 あれはたしか、中学1年生の頃だった。いつものようにゲーム雑誌を立ち読み に、いつもいく本屋さんへ行った時の事。普段はファミコン雑誌のところしか見な いのに、その日はたまたまパソコン雑誌に目がいった。 「MSX・FAN」 そう表紙には書かれていた。たまには見てみようかな。なんていう安易な気持 ちでパラパラとしばらく見てみる。すると、投稿コーナーがあって、そこには読者 が投稿したゲームプログラムが掲載されていたのだった。 「え!?パソコンってこんなのつくれるの?」 ゲームをつくるといえば、ファミリーベーシックくらいしか知らなかったのに、い きなりこれだもの。 「パソコンってすごいや。」 いままでゲームを「遊ぶ」ばかりだったのが、ここで「つくる」というのに興味が 変わろうとしていた。そして、その雑誌を買ってしまう。パソコンを持っていないと いうのに・・・ 家に帰ると、なぜかそこにはパソコンが・・・今にしてみれば、そのときなぜパ ソコンがあったのか詳しい事は思い出せない。親に頼んだのか、それとも親が衝動 買いしたのか・・・とにかくそこにはパソコンがあった。PanasonicのFS A1−WX。いわゆるMSX2+という機種である。たしか69 800円くらいし たような・・・ なんという運命なんだろう。MSXの雑誌を買ったその帰りにMSXを手に入 れてしまうのだから。この時点で将来は決まってしまったのかもしれない。とに かくその日から変わった・・・ まず始めに知ったのは、ゲームをつくるためには「プログラムを組む」という 作業が必要だという事。そのプログラムというのは「BASIC」という言語を使う という事だった(その当時はパソコン言語=BASICと思っていた)。 何日か説明書や、雑誌に載っていたプログラムを入力する日が続く。始め はわけもわからず入力していった。そのうちに、 「ちょっと変えてみようかな・・・」 なんて気持ちになってくる。はじめは簡単なもので、数当てゲームにコンティ ニューをつけるというものだった。これが初めて自分で書いたプログラムとなる。 「おお!できた・・・」 ただのコンティニューなのにこんなに感激するなんて・・・ますますプログラム の虜となっていった。 それから、本屋さんで入門書を買い、読んでは買い。と、何冊か買っていくう ちに、いつ間にか基礎は頭に入っていた。いったい、いつからわかるようになっ たのか、自分でもわからない。とにか く気が付いたらわかっていた。 こっからが大変。もう学校が終わると一目散で家に帰り、ゲームづくりに没 頭。「勉強しろよ」なんて微塵にも思わず、ひたすらプログラムの毎日だった。 それから2年が経ち、中学3年生になった頃、前からつくりたかったRPGを つくる事になる。ドット絵を描き始めたのもこの頃だったかな。 数ヶ月がたち、なんとか形にはなってきたものの、すでに「バテて」いた。 気力切れである。あーしたいこーしたい。などとどんどんスケールが大きくなっ ていき、完成できなくなっていた。ゲームのスピードもかなり遅く、とても遊び つらいRPGだった。こうして、初めてのRPG、たしかタイトルは 「Wimsical Adventurers(気まぐれな冒険者達)」 というものだった。企画ノートは今でも記念にとってあったりする。 受験勉強もろくにせず、ひたすらプログラムしていたのに、奇跡的に高校に 合格。大阪府内の高校に入学した。クラブにも入らず、やっぱりプログラムの 日々である。入学祝いに新しいパソコンを入手し、マシンはPanasonicの FSA1−GTに変わっていた。これが、MSX最後で最新機種の MSXTurboRである。値段が99 800円。今となっては手に入らない貴重 な品である。 この間にもいくつかゲームをつくっていたものの、やっぱりどれ一つ完成し なかった。友達とつくろうとしていたのもどれ一つとして。原因はいつも 「スケールが大きくなりすぎる」だった。つくりはじめるときは、友達と、 「規模の小さいのをつくろう」 と話がまとまるのに、いつのまにか手におえないくらいビッグなゲームに なってしまう。これはもう癖といってもいいかもしれない・・・とにかく完成し なかった。 そして、高校2年生になり、 「今度は絶対に完成させてやるぅ!」 と、いきおいよく開発をはじめたRPGがあった。 「そこぬけ空想ランド」 というゲームである。これは今でも残っているので、画面を紹介しよう。 結論から言えば、これも完成しなかった。 やっぱり途中で挫折してしまう。もうBASIC では限界だったのかもしれない。とにかく 絶対と思っていたのに・・・この時、完成し たゲームはまだ一本もないのであった。 このRPGでプログラムの技術は確実に 上がっていたと思う。その事を友達に言う と、こんな事を言ってきた。 「よし、じゃぁ、RPGつくろう。」 自分も含めてこりないやつらである。 なんでも、規模を小さくするため、ドット絵 も小さくしようというのだ。結果、キャラの サイズは今までの4分の1になった。これ ならなんとかなるだろう。その時はそう思っていた。そういう問題ではないのに・・ タイトルは 「ELEMENTAL」 精霊という意味だっただろうか。なんか最初はすごくおもしろそうなゲームだと 思ってた。たぶん、今画面を見てもそう感じることができるだろう。これも、いるも のごとく、小規模からという事で小さな村からつくる事になる。そして、村をつくっ てる間、友達はせっせとキャラクターづくりにはげんでいた。そして何日が過ぎ て・・・ 「ごめん、キャラ100人超えそう。」 と言ってきた。100人!たしかこの頃、市販のRPGでさえこんなにキャラが でてくるRPGはなかったそうな気がする。ノートを見せてもらうと、ものすごい数 のキャラの絵があった。そして、オープニングの絵コンテまであった。ところが・・ 「もうだめだぁ〜」 バテた。やっぱり、いつの間にかものすごいスケールのゲームになっていたの である。いつもの癖だった。この頃から 「ひょっとして、一生ゲームを完成させれないんでは・・・」 なんて思いはじめた。いつもそうなんだもの。ほんと、まいってしまう。 ちなみに、これがゲーム画面。今みてもなんか おもしろそうだ。が、実際にやってみると、スク ロールがものすごく遅い。ここまでいろいろな 処理をすると、BASICでは限界のように思え た。これがたぶん、MSXでつくった(つくろうと した)最後のプログラムだったと思う。なぜなら 高校2年の時、ついにPC98を手に入れてしま うから・・・ PC98を手に入れると、MSXとあまりにも 違うので、すごく戸惑ってしまったのを覚えて いる。なんと、BASICを店で買わなければな らなかった。と、いうわけで、早速購入し、 PC98でのプログラミングが始まった。 今にして思えば、なんて無駄な期間だったのか。はっきり言って、PC98の BASICは「不必要」な代物だった。昔はこれで十分だったのだろうが、今は使い 物にならない。それでもグラフィックエディタくらいはつくってみたのだけど・・・ ここで、運命的な出会いと言っていいのか、C言語に出会う。なんだか今 流行ってる言語らしく興味がわいた。なんかリストもきれいだし。 そして、C言語をつかうためのソフトを購入。20 000円もした。なんて高い んだとそのころは思ったけれど、今にして思えば、これは安いほうだった。 それから数ヶ月の間、C言語との格闘が始まった。幸い、BASICはほぼマ スターしていたので、頭の中では理解できていた。ところが、PC98の仕様が MSXとかなり違うのでそっちの方が大変だった。 高校を卒業しようという頃、ようやくC言語が少し使えるようになった。それで つくったのが、このホームページにも登録している「おさいふ」である。これが 完成すると、BASICの時のように「いつの間にか」C言語がわかるようになって きていた。 そして、ゲーム業界をめざし専門学校に入学。ところが・・・ 「絵ばっかりだ・・・」 そう。この学校はゲーム全般を教えてもらえると思っていたのに、絵描き養成 学校だったのだ。なんて事だ。しかたなく、絵を描き始めた。この間プログラムを する時間が減ったのは言うまでもない。 それから、2年生になり、夏休みの前ごろからか、 「やっぱり、絵ではだめだ・・・」 と、ある種、挫折のような気持ちになる。やっぱり自分は絵描きよりプログラマー の方がむいているということにようやく気が付いた。 それからは、自分でもおどろくほどの早さでC言語を習得していった。そして、約 2ヶ月をかけてはじめて完成したのが 「あの坂を上れば・・・」 である。これは最初もっと規模のおおきなゲームだったのだけど、気が付くと、 単なる小説風ゲームになっていた。いや、ゲームというのもおかしいかもしれない。 とにかく、完成第一号だ。 その後、C言語にも満足できなくなり、今ごろになってアセンブラという言語を学 び始める。これはあこがれの言語だったせいか、思ったより早く理解することができ た。2、3ヶ月で少しは使えるようになっていた。それでつくったのが、あの坂を上 れば・・・のアセンブラ版である。やればできるものだ。完成してそう思った。 今は何をしているかと言うと、やっぱりPC98を使っている。DOS/Vも持っ ているけれど、ゲームはPC98でつくっている。しかも格闘ゲームなんていうか なり無茶な事に挑戦していたりする。ひょっとしたら、これもいつものごとく、バテ てしまうかもしれない。けれど、その時はプログラマーをあきらめた方がいいのか もしれない・・・ 年がら年中春うらら の現在使えるパソコン言語。 MSX DiskBASIC PC98 C言語、アセンブリ言語 Windows JAVA 次はC++を使いたいと思っていたりするのだった・・・ おわり。
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